2012年 04月 22日
上野国分寺(こうずけのこくぶんじ) |
上野国分寺の歴史
奈良時代天平13年(741年)に、
聖武天皇は国の安泰を願うため国ごとに僧寺と
尼寺をつくることを命じられました。
これは「国分二寺」と呼ばれていましたが後に
「七重塔」をもち規模の大きい寺を僧寺が
「国分寺」と呼ばれるようになりました。
当時、現在の群馬県は「上野国」と呼ばれていましたが、
国分二寺は国府(現在の県庁にあたる)の北西に、
西に僧寺、東に尼寺が並ぶように建てられました。
歴史書によると碓氷郡や勢多郡の豪族の協力により
750年頃には主な建物が完成し、
全国の国分寺の中でも最も早い時期に姿が整ったことがわかります。
塔其壇 36個の礎石
国分寺には、国の平和と繁栄を祈るためのお経を納める七重塔が建立され、
国分寺の象徴となっていました。
この塔の其壇(基礎の壇)と礎石(柱の台石)の一部が
1200年以上もの間この場所に残っていました。
復元された「塔其壇」
版築で復元された「築垣」
国分寺ガイダンス館
(3月撮影)
国分寺
群馬県前橋市総社町
by hotshotampm
| 2012-04-22 13:47
| 史跡・文化財