2011年 10月 04日
真田伝説 長谷寺と長源寺 |
田幸隆が、
上州・群馬県安中市の「長源寺」より「伝為晃運和尚」を招いて
真田氏の菩提寺としてお寺を建立し
「真田山 種月院 長谷寺」と称したのが最初になります。
正面中央 真田幸隆の墓
向かい左 幸隆夫人の墓
向かい右 真田昌幸の墓
真田山 長谷寺
長野県上田市真田町長4646
長源寺(群馬県)
天文10年、真田幸隆は海野氏の家臣として戦ったいくさに敗北します。
幸隆は、上州(群馬)の長野業行氏をたより長源寺に身をよせます。
多くの修行僧は落ち武者の幸隆を避けておりましたが、
典座(禅寺の料理長のような役職)の役に就かせていた晃運和尚は
分け隔てなく幸隆の世話もしました。
後に幸隆は武田氏の家臣として働き、才能を発揮し領地を回復。
晃運和尚を招いてお寺を建立しました。
晃運和尚と幸隆はこれからの真田氏の飛躍の礎を築いた二人です。
長源寺
群馬県安中市上後閑2913
by hotshotampm
| 2011-10-04 16:56
| 神社仏閣